損する気遣い、得する気遣い

 

私たちが

社会生活を行う中で

気遣いは

必要なものである

というのは

皆さん

実感しておられると思います。

ただ、

自分では

気遣いのつもりで

やったことが

裏目に出てしまったことって

誰しも

一度や二度

経験があるのではないでしょうか

たとえば

電車で席を譲ろうとして

声をかけたものの

結構です

と言われて

もう、座りなおすこともできなくなったり、

人が

何もないところで

けつまずいてしまったのを見て

思わず

大丈夫ですかと

声をかけてしまったり

相手は

見られて

恥ずかしいと

思っているので

見なかったふりをする方が

本当の気遣いだったな

と、後で気付く。

さて

どうすれば

良い気遣いができるのか?

自分が

されたら

うれしい気遣いかどうかを

判断の基準とするのも

ひとつの方法だと思います。

ただ、これも

人間

色々な人がいますので

すべてに

当てはまるかどうかは

わかりません。

結局のところ

本当に

相手のことを

気遣ってやっているのか

それとも

これで

相手から好印象を

得ようとして

やっているかで

違うような気もします。

いづれにしても

気遣いを

感じてもらえたら

正解じゃなくても

分かってもらえるんじゃないかと思います。

間違った気遣いを

恐れて

何もしないことの方が

間違のような

気がします。






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